【 BOOK】「世界で一番古くて大切なスピリチュアルの教え 著者:エックハルト・トール、訳:あさりみちこ


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🟣はじめに
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みなさんが「本当の自分」を思い出し、「生まれ故郷」へとたどり着くよう導くのが、本書のゴールです。
本書はノンストップで、読み続けるよりも、休み休み読むことをお勧めします。
つまり、読んでいる時間よりも、本を温めること、いわば「熟成させること」に時間をかけてください。
旧来の条件付けられた習癖から脱却できるよう、あなたをサポートするでしょう。
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スートラの場合、「そこに書かれていること」よりも、「そこに書かれていないこと」、すなわち、それが指し示すことの方が、はるかに重要なのです。
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本書は、全人類の意識がダイレクトにアクセスできるようになっています。
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沈黙とは、心の平安でもあります。沈黙と平和とは、あなたという存在の「エッセンス」です。この世を救い、変容するのは、この「内なる平和」です。
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🟣Chapter1
SILENCE & STILLNESS
なぜ「心の静寂」が必要か?
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「本当の自分」こそが、名前や形を超えた、あなたの本質です。
静寂な心こそが、あなたの本質です。
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簡単にいうなら、わたしたちは、「人間」という形態をまとった純粋な「意識」なのです。
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心の静寂を失うと、「本当の自分」とのつながりを失ってしまいます。
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「本当の自分」、、、、、。
すべての人の深奥にあるこの感覚は、「静寂な心」と切り離すことができません。「本当の自分」こそが、名前や形を超えた、あなたの本質です。
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じっと動かずに、なにかを観察することによって、対象と一つになったと感じます。自分が万物と一緒になったと感じること、それが本当の「愛」なのです。
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「いま、この瞬間」をありのままに100%受け入れるときはいつでも、あなたは静寂しています。あなたは平和の中にいるのです。
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「すきま」「スペース」に意識を向けてみてください。二つの思考のすきまに。会話の中の、言葉と言葉のあいだの、ちょっとしたすきまに。ピアノやフルートの、音符と音符のあいだに。呼吸と吸気のあいだに。
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こうして「すきま」に意識を向けるとき、対象に向ける意識は、純粋な意識そのものに変わります。純粋な意識である、形態のない次元が、あなたの内から現われ、形態による認識に、とって代わられるのです。
あなたが「わたし」とみなしている形態を生じさせたもの、あなたの生命を支えているものが、「意識」です。
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「静止の空間」。これこそが、創造性が誕生し、問題の解決策が見つかる場所なのです。
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意識こそが、あらゆる銀河のエッセンスであり、草花の、木々の、鳥たちの、ありとあらゆる形態のエッセンスなのです。
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では、叡智とは、いったいどんなもので、どこを探せば見つかるでしょう?叡智は静止することによって、身につけることができます。なにはともあれ、見つめてください。それ以上、なにも要りません。静止していること、見つめていること、耳を澄ますことによって、あなたの中に眠る、観念でない叡智を呼び覚ますのです。静止の次元に、言葉と行動を導いてもらうのです。
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🟣Chapter2
BEYOND THE THINKING MIND
思考の夢から目覚めるということ
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人間の中には、思考よりもはるかに深遠な意識の領域が存在します。そして、これこそが、「本当の自分」の本質なのです。それは、「存在」「気づき」「条件づけられていない意識」と呼んでもいいでしょう。
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そこで、みなさんに、これまでにない、スピリチュアルな習慣を提案します。それは、「心に浮かぶ思考を、あまり真剣に受け止めないこと」です。
人間というものは、なんとあっけなく、観念という名の「檻(おり)」に、はまってしまう生き物なのでしょうか。
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みなさんに、これまでにない、スピリチュアルな習慣を提案します。それは、
「心に浮かぶ思考を、あまり真剣に受け止めないこと」です。
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人間というものは、なんとあっけなく、観念という名の「檻(おり)」に、はまってしまう生き物なのでしょう。
こころは、「知ること」「理解すること」「コントロールすること」を
目的としているため、ともすると、独善的な意見や見解を、真実と取り違えてしまうものです。
思考はこう決めつけます。
「つまりそれは、こういうことだ」。けれども、自分と他人の人生や行動をどんなふうに解釈しようとも、状況や出来事にどんな判断を下そうとも、それは無限に存在する可能性の中の、たった一つの見方に過ぎません。
思考は真実をバラバラにしてしまいます。それは真実を切り刻んで、いわば「観念の寄せ集め」にしてしまうのです。
アスペクト(外見、形勢、局面、見地)
思考力はあくまでも意識(=あなた自身)のアスペクトの中で、ごくわずかな割合を占めるに過ぎないという認識に欠けていると、思考力は、むしろ足かせになってしまうのです。
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いかなるドグマ(教理)も、それが、宗教上のものであれ、政治上のものであれ、科学的なものであれ、言葉によって真実を言い表すことができるという誤解から生まれたものに過ぎません。ドグマとは、集合的な観念の牢獄です。そして、とても奇妙なことに、人間は自らの牢獄を愛しているのです。
なぜでしょうか?その理由は、ドグマは人間に一種の安心感と、「わたしは知っている」という偽りの感覚を与えるからです。
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根本的「幻想」とはなんでしゃうか?
それは、思考と「本当の自分」を同一視してしまうことです。
スピリチュアルな覚醒とは、「思考の夢」から目覚めることです。
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自分の考えを一から十まで信じるのを止めたとき、あなたは思考の檻の外へと、一歩歩み出ることができます。そして、「考えている人」は「本当の自分」とは別人だということが、手にとるようにわかるでしょう。
心はいつも「満たされない」状態にあります。貪欲で、さらに多くのものを求めているのです。思考を、「本当の自分」と同一視していると、なんにでもすぐに飽きがきて、決して足ることを知りません。退屈とは、思考がさらに多くの刺激を求めていること、もっと多くの「餌えさ」を求めていること、そしてその飢えが満たされていない心理状態を意味しているのです。
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「つまらないなぁ」こう感じているとき、
こんな方法を試してみてはいかがでしょう。
退屈と欲求不満の状態にとどまり、それが「どんなふうに感じられるか」を観察してみるのです。
意識を感覚に注いでみると、突如として、感覚の周囲にいくらかの「空間」と「静止状態」を感じはじめます。最初のうちは、ごくわずかかもしれませんが、内なる空間の感覚が拡大するにつれて、退屈という感覚は、強度においても、重要性においても、弱まりはじめます。つまり、退屈という感覚でさえ、「自分が誰であり」、「自分が誰でないのか」を教えてくれる「道標みちしるべ」に利用できるのです。
こうして、「退屈している人間」は、「本当の自分」ではないことを発見します。退屈とは、簡単にいえば、私たちの中にある、条件づけられたエネルギー・パターンの一つなのです。
あなたは「退屈している人間」でもなければ、「怒っている人間」でも、「悲しんでいる人間」でも、「恐れている人間」でもありません。
退屈も、怒りも、悲しみも、恐れも、「わたしに属するもの」、「個人的なもの」ではないのです。それらはすべて、人間の心の状態の一つに過ぎません。それらはやって来ては、やがて過ぎ去っていきます。
やって来て、過ぎ去っていくものは、「本来の自分」ではありません。
「頭にきた」。「悲しい」。「怖い」。こう感じているのは誰でしょう。
こうした感覚自体は「本当の自分」ではありません。感覚を感じとっているのが、「本当の自分」なのです。
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純粋な意識に根ざしていない思考は、利己主義に走り、したがって機能不全になってしまいます。叡智に欠けた近視眼的な知恵は、極めて危険であり、かつ破壊的でもあります。
純粋な意識に根ざしていないために、破壊的な結果を生んでしまうのです。
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人類の次なるステップは、「思考の超越」です。
「思考と完全に一体になってしまうこと」、「思考に支配されること」を止めようと、いっているのです。
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「本当の自分」という偉大なる叡智が頭脳を活用し、頭脳を通して自己を表現するとき、そのときはじめて、頭脳は美しく機能するのです。
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「思考しない純粋な意識の状態」という一瞬の出来事を、これまで見過ごしてきたかもしれませんが、あなたもすでに、人生の中で何度か経験しているはずです。
完全に「いまに在った」ために、普段の思考の雑音は止まり、純粋な意識にとって代わられたのです。そのときのあなたの知覚は、思考に曇らされることなく、クリスタルのように明晰になります。
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「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。
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あなたの人生で起こりうる、もっとも重要な出来事です。それは、思考の意識から、「いま在る」意識へのシフトです。
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「知らないでいること」に心地よさを覚えてください。そうすることによって、思考を超越することができます。
なぜなら、思考は常に結論出そう、解釈しようとしたがるからです。「知らないこと」を恐れているのです。つまり、知らないでいることに心地よさが感じられるようになったら、それは思考を超越した証拠。すると、観念的でない、より「深遠な知」が、その状態から生まれてきます。
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「人生をマスターすること」は、「人生をコントロールすること」と、対極に位置します。人生をマスターすることは、より偉大な意識とシンクロすることです。この意識が、語り、行動し、仕事を成し遂げるのです。
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🟣Chapter3
THE EGOIC SELF
「本当のわたし」と「エゴのわたし」
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心が絶えず求めているのは、思考のための「餌えさ」だけではありません。アイデンティティ、すなわち「わたしは⚪︎⚪︎です」と自己認識するための「餌」も探しているのです。アイデンティティを親として誕生したエゴは、常にアイデンティティを再創造しています。
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「どうも頭の中で、自分自身になりすまそうとする声がして、話すのをやめようとしないようだ」。そう気づいたなら、思考を、無意識のうちに「本当の自分」と同一視する習性から目覚めつつある、好ましい兆候です。「声」に気づくということは、自分は「声の主」、すなわち「感がある人」ではなく、それを「意識している人」だと気づくことだからです。
自分が、声の奥に存在する、「意識」であると気づくことは、大いなる自由です。
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エゴ的な自己は、あくなき欲望に振り回されています。自分を完全なものにしたいという欲望から、常に獲物を追い求めているのです。こらが、エゴが脅迫的なくらい、未来に没頭している理由です。
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全意識を、「いま、この瞬間」に向けることによって、エゴ的思考よりもはるかに偉大な叡智が、あなたの人生を突き動かしはじめます。
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エゴを通して人生を生きると、「いま、この瞬間」を、「目的の手段」にしてしまいます。あなたは未来のために生きることになり、たとえゴールを達成しても、満たされることはありません。仮に満足したとしても、それは、束の間(つかのま)です。
未来に達成したいゴールよりも、いま自分がしていることに意識を集中させるようにすれば、エゴ的な条件付けのパターンから脱却することができます。そうすれば、こらまでとは比較にならないほど、行動が効率的になるばかりか、充実感も喜びも無限大に拡大していきます。
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エゴというものはみな、多かれ少なかれ、わたしたちが、呼ぶところの「被害者意識」という要素を含んでいるものです。なかには、「わたしは被害者」の自己イメージが強烈なあまり、それがエゴの中心核になっている人もいます。そのような人たちの自己観の根幹部分は、恨みや苦悩によって形成されているのです。
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自分の心の状態を「観察する人」になってください。「気づく」だけで十分です。気づきによって、変容と自由がやってくるのですから。
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他人や状況を「悪者」扱いし、自分を「正しい人」にしているのです。「正しい人」になることによって、優越感に浸り、優越感に浸ることによって、自己の感覚を強化しているのです。むろん、実際に強化しているのは、エゴの幻想に過ぎません。
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人との交流において、自分が相手に対して抱いているかもしれない、優越感か、劣等感の微妙な感覚を感知することができますか?もしそうなら、相手の「真実の姿」ではなく、比較することによって生き延びている、自分自身のエゴを見ているのです。
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エゴ的自己は、すべてバラバラであるという信念を維持するため、他と対立しよう、他に抵抗しよう、他を排除しよう、という衝動をもっています。エゴが生きのびるには、それが不可欠なのです。そのためエゴは常に、「わたし対他人」、「我々対彼ら」という具合に、分裂状態にあります。
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エゴはいつも、物事や人と衝突している必要があります。こらが、平和や愛や喜びを求めていながら、実際にそれがやって来ると、長くは絶えられない理由なのです。
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不幸も幸福も、究極的には人生の状況によって生ずるのではなく、心の条件づけ、「マインドセット」によって生じています。
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あなたのとった行動、あるいは、行動し損ねたことは、「人類の無意識状態」の表出に過ぎません。
けれども、エゴは、それを個人的にとるのです。「わたしはこうした」というふうに。そうして自分に対して、「わたしは悪い人」というイメージを持ち続けるのです。
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ゴールを定めたかったら、定めてもいいのです。ただ、それを達成するかどうかは、さほど重要ではないということに気づいてください。
純粋な意識に基づいて行動していないかぎり、「いま、この瞬間」を、「目的のための手段」にしてしまっているのです。純粋な意識に基づいて行動しているかぎり、行動すること自体が、すべての瞬間に充実したものになります。あなたはもう「いま、この瞬間」を「目的のための手段」にしていません。「いま、この瞬間」を「目的のための手段」「するのは、典型的なエゴ意識です。
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「自己がなければ、問題もなし」。仏教の奥義を問われたマスターは、こう答えたそうです。
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Chapter4
THE NOW
「いま、この瞬間」の意味
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常識で考えると、「いま、この瞬間」は、無数にある瞬間のなかの、たった一瞬にしか思えません。毎日は、さまざまことが起こる瞬間の累積で成り立っているように思えます。けれども、さらに見方を深めるなら、常に存在するのは、「この一瞬」だけではなかったでしょうか?人生が「いま、この瞬間」でなかったことなど、買って、あったでしょうか?
この一瞬、、、「いま」、、、、だけが、あなたが決して逃れることのできない、唯一のものであり、人生における唯一の、確固たる事実です。なにが起ころうと、あなたの人生がどんなに変わろうと、唯一確かなこと、それは常に「いま」です。


ここまで

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