【 BOOK】「古代の叡智『竹内文書(たけうちもんじょ)』と神秘秘伝の術事」著者:皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)・第六十八代管長 竹内康裕(やすひろ)、2021年2月28日初版
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鳴動神事では「男竈」(陽)と「女竈」(陰)の二つの釜を用います。
男竈は物事のはじめやタイミング、社会についての啓示を、後から炊く女竈では、物事を治める、形にする、社会の動きをまとめるほかに、個人的な啓示が授けられます。
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『竹内文書』は、単なる歴史書ではなく、神が人間に与えた「人としてのお役割」を記したものだからです。
わたしたち人間にも一人ひとり異なるお役割というものが授けられているのです。
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人としての最も大切な役割。
それは、「人と人が互いに補い合って生きる」ということです。
これは別の言葉で言うなら「人は互いに助け合うことが必要である」ということです。
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神様は、敢えて異なる特性を持った五色の人間をお造りになりました。人間を平等に造られなかったのには意味があります。
それは、人々が互いに助け合い、補い合うためです。
『竹内文書館を読むと、このことがよくわかります。
互いに持てるものを持たないものと補い合い、助け合うことで、平等な世界が実現していてのが神代の時代だからです。
禍や天変地異は、人々が自らの天命に反すた時に生じます。
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戦争ほど天命に背いた愚かな行為はありません。
今回のパンデミックにより、私たちは今、愛する人、大切な人との繋がりを物理的に断つ苦しさを味わっています。でもそれは、人々が繋がり助け合うことの大切さや、そうできることの幸せを私たちに思い出してほしいという神の計らいなのではないでしょうか。
人間がその天命である「助け合い」の心を失ったら地球は壊滅(かいめつ)します。
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人の役割・天命は一人ずつ違います。
一人ひとりが自らの天命に気づき、その役割を果たしていくことが、人類の共存共栄に繋がっています。
『竹内文書』に触れることで、自分に与えられた役割・天命はなんなのか、ということを改めて考えていただきたいと思います。
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🔵はじめに
竹内文書(たけうちもんじょ)
皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)
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読者の皆様には、本書を読まれるにあたり、まずこれまで学校で教えられた「歴史」を一度手放していただき、何が真実なんだろうとフラットな心で臨んでいただきたいと思います。
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・今こそ、『竹内文書館を活かすとき
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災害には必ず原因があり、その原因とは「人心の乱れ」だと言います。
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『竹内文書』は単なる歴史書ではありません。
人がこの世を生きて行くために本当に必要な智慧を伝える「実践のための書」なのです。
つまり、わたしが本書を通して読者の方々に受け取っていただきたいのは、世界中の人々が助け合うことで、より幸せに生きるための智慧です。
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皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)に伝わる『竹内文書』は、今から約千五百年前、武烈天皇(在位四百九十八〜五○六)の治世に、当時皇祖皇太神宮の神主であった竹内真鳥(平群真鳥へぐりの まとり)が、神代文字(かみよもじ)で書かれていた原典を漢字仮名交じり文に書き改めたものです。日本最古の古文書とされている『古事記』が編纂されたのは西暦七十二年なので、この時点ですでに『竹内文書』は『古事記』より二百年以上古文書だということになります。
でもこれはあくまでも書き改めたもので、神代文字(かみよもじ)で書かれていた原典はさらに古いものです。
ちなみに、この「原典が神代文字です書かれていた」ということが、学者たちが『竹内文書館の正当性を認めようとしない理由の一つです。なぜなら、日本の史学会では、漢字伝来以前に日本に固有の文字「神代文字」が存在したことを認めていないからです。
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竹内文書の記述は、天地の創造から始まる「天神七代(てんじん)」から始まります。これは文字通り七代の神々によって世界が生み出され、人類が誕生するところまでが記されています。
続く上古(じょうこ)の時代
この上古の時代、世界の国々は一つにまとまっていました。その一つにまとまった世界を治めていたのは、現在の日本の天皇の祖先にあたる古代の
天皇「スメラミコト」だったと『竹内文書館は伝えています。
当時の文明は非常に高く、スメラミコトは天空を翔ける(かけ)「天の浮舟(あめのうきふね)」と呼ばれる飛行船に乗って世界中を巡幸し、その土地土地に必要な教育を施し、世界を一つにまとめていました。
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上古につづく「不合朝(ふきあえずちょう)」
さらに続く「神倭朝(かんやまとちょう)」
この不合(ふきあえず)朝七十三代のスメラミコトとして、神倭(かんやまと)朝初代の天皇とおなりになってのが、神武天皇です。
この神武天皇以降、世界のスメラミコトは日本一国を統治するだけの天皇になってしまわれました。
ここから先は、色々とか細かな差異はあるものの、基本的な天皇の系譜は『古事記伝や『日本書紀』の記録とほぼ一致しています。
●太古から秘守・伝承していた「人類がよりよく生きるための智慧」
このような他に類を見ない歴史を伝える『竹内文書館を太古から御神宝として大切に祀り、秘守・伝承していたのが、わたしが神主を務める皇祖皇太神宮です。
皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の初代管長は武内宿禰(たけしうちのすくね)
それほど長い間存在していたのに多くの人が当神宮の存在を知らないのは、御神宝を守るために長い間その存在を秘匿(ひとく)していたからです。
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皇祖皇太神宮を公式に再建し、御神宝の存在を一般的公開したのは、わたしの祖父にあたる大小六十六代管長・竹内巨麿(きよまろ)でした。
現在の最高裁判所に相当する「大審院」までもつれ込み、最終的には皇祖皇太神宮および竹内巨麿(たけうち きよまろ)の「無罪」が確定します。
つめり、学者は否定しましたが、国家は『竹内文書』の正当性を認めたということです。
それでも日本の学会は『竹内文書』の正当性をいまだに認めていないのです。
ここまで
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